もちふわホワイトデー
冬春ホワイトデー

「父さん、父さん」
 心地よいテノールで優しく揺さぶられる。心地よすぎて、起こされているのに寝かしつけられている感覚だ。
「ん……」
 目を開くと、すでに身支度を完璧に整えた春也が微笑んでいた。
「おはよ、父さん」
「……ぁるくん? あれ、なんで、アラーム……」
「ごめん、勝手に止めちゃった。俺が起こすまでゆっくり寝てほしくて」
 今の状況を理解し、とっさに腕で顔を覆う。
「父さん、何してるの?」
「……はるくんにすっぴん見せたくない」
「いついかなるときもかわいいよ。ごはんできてるから、顔洗ってきて」
 腕の上からキスをして、パタパタと足音が去っていく。
 はるくんのごはん? 僕は慌てて飛び起きた。

 炊きたての白米に大根おろしを添えた卵焼き、あじの干物。ご機嫌な朝食だ。そして笑顔でみそ汁を渡してくる最愛の息子。最高か?
「今日はホワイトデーだからね。一日父さんが俺に尽くされる日だよ♡」
「はるくんはただでさえいい子なのに。これ以上尽くされたら、お父さん駄目になっちゃうよ……」
「なっていいよう♡」
 朝から息子の作ってくれたみそ汁が飲める、なんて幸せなんだろう。すっぴんを見られた甲斐があるというものだ。
 お手製の朝食をきれいに平らげて手を合わせる。
「ごちそうさまでした、おいしかったよ」
 と、いつもの癖で片付けを始めようとすると。
「お姫様は何もしないの!」
「はぁい」
 春也は有無を言わさずてきぱきと卓の上を片付け、食後のお茶を淹れてくれた。何もさせてもらえないの、嬉しいけど落ち着かないな……。
「予定ではこの後、映画でも見に行こうと思うんだけど。他に希望があったら教えて」
「はるくんにお任せするよ」
「うん」

「父さん、飲み物どうする」
「アイスコーヒーにしようかな」
「アイスコーヒーね、俺はコーラにしよっと」
 さすが僕の王子様。ポップコーンのセットを注文する姿さえ、名匠の手による絵画に見える。題名をつけるなら、『コンセッションスタンドの天使王子』。
 元からかっこいいのに僕が磨き抜いたおかげか最近では輝けるばかりの春也を見て、周囲がひそひそと囁きかわす。まぁ、はるくんは生まれたときから僕のものだけど。せいぜい目の保養にしてくれ。

「キャラメルポップコーンがいいの!」
「ったく……その代わり昼飯は俺に譲れよ? カレー食うからな、カレー」
「みみーっ、優しい♡」

「えつっさん、何見る~?」
「血が出て人が死ぬ映画」
「で、デートなのにムードねぇ……かわいい動物とかヒューマンドラマ見ようよ」
「うるせぇな、人がたくさん死ぬ映画が見てぇんだよ俺は」

 周囲の喧噪を聞くでもなく聞きながら、僕は笑顔で戻ってくる息子を見つめていた。

 映画自体は仲間に裏切られたアウトローの男が少年との出会いで救われるというベタベタな内容のアクションものだったが、僕は手もなく号泣してしまった。自分のじゃ足りず、はるくんのハンカチまで借りる始末だ。
「恥ずかしい……年取るとほんと駄目だなぁ」
「父さんかわいいよう♡ 感受性の強いお姫様、愛おしすぎ……」
「からかうなよ、僕はいついかなる時も、はるくんのかっこいいお父さんでいたいのに……」
「ごめんごめん、おいしいご飯食べて機嫌直して? お願い」
「はるくんがそう言うなら……」
 昼は老舗のそば屋で済ませ、その後カフェでお茶をしてから家に帰った。

 帰りに寄ったスーパーの袋をかき回しながら、春也が腕まくりする。
「お昼は軽めに済ませたからね。夜はがっつり食べよ」
「息子に起こされて、息子お手製の朝ご飯食べて、息子とデートして、晩ご飯まで作ってもらえるなんて……僕はなんて幸せ者なんだろう」
「いつも作ってもらえる俺のほうが幸せだよう」
 夕飯は僕のリクエストで和風ハンバーグ。ここでもお手伝いは丁重にお断りされた。
「とってもおいしかったよ。ソースの味もばっちり決まってて……さてははるくん、僕の好みを完全に把握してるな?」
「ふへへ……♡」
 他人に対してはお高くとまっている印象を与えてしまう春也は、僕に対しては至って感情表現が素直でかわいい。
 その後、お風呂でしっかりと背中を流してもらって至れり尽くせりの夜は更けていった。

「父さん、これ、ホワイトデーのプレゼント」
 パジャマ姿の春也が、笑顔でプレゼントの包みを渡してくる。
 ホワイトデーでこのクオリティのおもてなしなら、父の日は一体どうなってしまうんだはるくん……。
「わあ、かわいい!」
 中身は王冠を被ったオバケちゃんのぬいぐるみだった。
 このフォルム……いつかどこかで見たような……そしてどことなく、はるくんに似ているような……。一度も見たことはないのにデジャヴを感じる。
「気に入ってもらえた?」
「もちろんだよ、ありがとうはるくん」
 ただ、一つだけ気になることが。ぬいぐるみを抱きしめながら、首を傾げる。
「でもはるくん、僕がオバケちゃんぬいぐるみかわいがったら、焼きもち焼いちゃうんじゃないか?」
「心配には及ばないよ。……実は、じゃーん!」
 ソファの陰から、同じフォルムのぬいぐるみが顔を出す。そっちは赤いリボンと、ドクロの髪飾りをつけていた。
 はるくんは二体を仲良くソファに並べながら言う。
「この子達、お店でタグが絡まっちゃって離れなくて。最後の二体みたいだったし、ひき離すのもかわいそうだから。つい買ってきちゃった」
「うーん……きっと父子だな。お父さんにはわかる」
「俺もそう思う。家についたらあっさりタグが解けてたし、なんかしてやられた感じ」
「策士のぬいぐるみだなぁ、かわいいからいいけど。ちなみにこの子達の名前は?」
「餅月もちのすけと、不破ふわのすけ」
「はるくんはセンスもかわいい」
 ちなみにリボンがもちのすけ、王冠がふわのすけらしい。
 最高の気分で春也の肩を抱くと、すぐに寄り添ってきた。
「……はるくん、ありがとう。今日はいつも以上に幸せな気持ちで眠れそうだよ」
「何言ってるのさ、父さん」
 にんまりと笑う。捕食者の笑みの中に、ほのかに香る強雄遺伝子。
「素敵なホワイトデー、まだ終わってないよ。今日はめいっぱい尽くされる日なんだからね♡」
 その後文字通り、僕は絞り尽くされることとなった――まぁいつも通り僕が勝ったんだけど。

 その晩、僕は夢を見た。
 ふわふわと宙に浮いたもちのすけとふわのすけが、そろって頭を下げてくる。表情は変わらないし言葉もないが、不思議と伝わってくるものはあって。
「ご丁寧にどうも、こちらこそよろしく」
 僕もつられて、二体に頭を下げた。

「あ、また落ちてる」
 ふと見れば、ぬいぐるみがラグにころんと寝そべっていた。
「もちふわくんは自立するデザインじゃないから、重心のバランスが悪いんだな、きっと」
「そっかぁ。でも毎回二体まとめて落ちてるの、面白いよね。そんなところまで仲良しなのかな」
 春也は笑いながらぬいぐるみをソファに戻す。
 ……実はこの二体、朝になると廊下に出ていたり、前日かごに盛っておいた林檎が減っているときもあるのだが。怖がらせるといけないので、春也には秘密にしておこう。まぁ悪いものではないんだ。同じ父子だし、夢で挨拶もされたし。
「父さん、どうしたの?」
「うん……来世はもちろん、どんな平行世界でも。ぬいぐるみでもオバケでもそれ以外でも、はるくんと父子でいられるといいなって」
「いられるよう。どんな世界でも俺達は父子で、絶対に結ばれるんだよ♡」
 太鼓判を押すように、僕のオバケちゃんが笑った。

2023/3/12 LOG収納

戻る