椿堂
冬春/冬いも全作品のネタバレ有り

 世間はもうすぐ楽しいクリスマスだというのに、はるくんは一人、自分の部屋でため息をつきます。
 クリスマスプレゼントの希望は、お母さんと家の経済に気を使って、無難に本にしました。本当にほしいものはねだりようがないので、仕方がありません。
 サンタクロースの正体はお父さんだと言いますが、そもそもはるくんには、お父さんがいません。はるくんは「自分がどうにもまともじゃないのは、きっとお父さんがいないからにちがいない」と信じていました。それは半分当たっていて、半分間違っていました。
 さりとてお母さんに「クリスマスプレゼントにお父さんがほしい」とねだるなんてできません。そんなことを言ったが最後、家庭が地獄になるのは目に見えているからです。それに、理想と違うリーズナブルなお父さんを贈られても始末に困ります。そう簡単に返品・交換が利くものではないのですから。

 困ったはるくんは探偵さんのところへ相談に行きました。
 「ヘボ探偵」と揶揄する人もいますが、子どもの話も真剣に聞いてくれますし、かわいいフクロウさんも飼っていますし、遊びに行くと毎回おいしいアップルパイをご馳走してくれるので、はるくんの信頼は厚いのでした。
 いつものようにモフモフフクロウさんと遊んでいたはるくんに、金髪に眼鏡の探偵さんは、おやつのアップルパイを出してくれながら言いました。
「今、見世物小屋がお父さんを売ってるんだよ。『父なし子にお父さんを〜』なんて綺麗事言ってるけど、ほんとは借金を減らすために、年増の団員を売り捌きたいだけなんだよな。今度の休みに、ちょっと覗いてみたら? 意外な掘り出し物が見つかるかもよ~」
「お父さん、僕のおこづかいでも買えるかな?」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」

 数日後のお休みの日。はるくんは寒さに負けないようしっかりと赤いマフラーを巻いて、自分へのプレゼントを買いに見世物小屋へと行きました。
 鬼、人間兵器、魔女、クライムファイター、天狗――なるほど、そこにはありとあらゆるたぐいの血なまぐさく、悪趣味な見世物が揃っていました。女装男にメイド男、狸男に狐男に猫男に牛男――はるくんは目を回しながら目的の場所まで辿り着きます。
 華やかな見世物小屋の妙に物寂しい一角。探偵さんが教えてくれたとおりの場所。
 黒一色の服の上に緋襦袢を羽織った亡八が、寒風を避けるように壁に寄りかかっていました。掲げられた看板には、『椿堂』の文字。意味はわかりません。
「ここは初めてか?」
 亡八はその物憂げな面持ちな相応しい、低い声で聞きました。
「は、はい、僕のお父さんを買いにきました!」
 はるくんは大きく頷きました。胸がドキドキして、なんだかいかがわしいお店に来たような気持ちになりました。
「ついてこい、値札のついている父親は見世の中にいるやつだけだ。外にいるやつらは売り物じゃない」
 はるくんは亡八に促され、恐る恐る椿堂を覗き込みます。そこは個室単位で区切られた薄暗い見世でした。
 最初の畳敷きの部屋にいたのは、長い白髪の腺病質な男でした。ガリガリに痩せて、そのくせ赤い目だけが爛々と光っています。
「はぁ……はぁあ……」
 男は着物の胸元を押さえて苦しそうに咳き込みながらも、その癇性と気位の高さを示すように、鋭くはるくんを睨み付けました。
「餓鬼が……何を見ている、とっとと失せろ!」
 これでは品定めするどころではありません。怒鳴られたはるくんは、たまらず次の部屋に行きました。
 次の部屋にいた男は、白髪こそ短く切りそろえられていましたが、直前に見た男とよく似ていました。男ははるくんを認めるやいなや、とってつけたような笑みを浮かべます。
「坊や、どこから来たんだい? さぁ、こっちにおいで、怖くないよ」
 無理やり作った猫撫で声はいかにも不自然で、本当は子どもなんてちっとも好きではないことはすぐにわかりました。
 賢いはるくんが本能的に後ずさると、男は鬼の本性をむき出しにして格子を揺さぶります。
「さっさとこっちに来い! 食わせろ、食わせろ、食わせろ!」
 はるくんは怖くなり、亡八の後ろに隠れました。
「あれは我が子すら食い殺しかけた鬼だ。個人的にはおすすめしないな」
 ぽつりと言われ、そういう重要事項は先に言ってほしいな、と口に出さずにはるくんは思いました。
 二連続ではずれを引かされ、意気消沈しかかったはるくんを出迎えたのは、急に趣の変わったケバケバしい飾り窓。レッドライトに照らされて、豪奢な銀髪の男がしどけなく寝椅子に転がっていました。
 注がれる視線を感じたのか、白銀の睫毛の生えそろった瞼が、重々しく開きます。
「小僧、まさかその歳で郭通いか?」
「お父さんを買いに……」
「女子どもだけでなく、父親すらも売物になる時代か! なんともはや、嘆かわしいことよなぁ」
 興味をそそられたのか、退屈していたらしい男はのっそりと起き上がりました。
「物というものは総じて一度手に入れたが最後、死ぬか壊れるまで持ち主に世話を要求する。お前にその甲斐性があるのか? んん? この俺を手に入れることも、手に入れ続けることも、お前にできるとでも?」
 買うのはもちろん、『これ』を養うためにどれだけのお金と忍耐がいるかと思うと、途方に暮れそうです。
 と、どこからか着信音が聞こえてきました。男は懐から髪を使ってスマホを取り出し、そのまま髪の毛で操作を始めます。
「なんだ、泣いて謝っても俺は帰らんぞ。黙れ、俺を家出させたお前が悪い。このような素晴らしい伴侶を娶れた身に余る僥倖に対し、お前は近頃とみに感謝を忘れがち……カレー? 唐揚げ? ……ふむ、仕方ない、今回は俺が折れてやろう。自分の男の海よりも広い懐に感謝するがいい」
 画面をタップして通話を終え、男は心なしかうきうきと寝椅子から立ち上がりました。
「囚われの姫もたまにはいいが――俺は腹が減った、帰る」
 言うなり壁を切り刻み、勝手に小屋を出ていってしまいました。強い雄は自由だなぁ、とはるくんは思いました。
「よぉ、坊主。こんちは」
 次の部屋にはすらりとした金髪碧眼のお兄さんがいて、こちらに気安く手を振ります。見た目は申し分ないのですが、はるくんのお父さんに収まるには少し若すぎました。
「なぁ、マフィン食べないか? 焼いても食べてくれる人がいなくて困ってるんだ」
 青年は格子の隙間からかわいらしくラッピングされた焼き菓子を差し出してきます。甘い香りに少し心惹かれましたが、きっぱりとお断りしました。
「知らない人から物をもらっちゃ駄目って言われてるから」
「そうなんだ、賢いな。でも、誘拐や虐待は赤の他人じゃなく身内や顔見知りの仕業がほとんどだぜ? 意地悪をしてくる相手は敵かもしれないが、笑顔で親切にしてくれるから味方――なんて単純な話はない。知ってる人にも、簡単についていかないようにな」
 手を引っ込めてくすくす笑う、その得体の知れない笑顔に、はるくんは背筋がうすら寒くなりました。
 少し進むと薄暗い部屋の中、髪を短く刈ったお父さんがイスに腰掛け、巨大な胎児をあやしています。
「いい子、いい子……」
「むー、むー……」
 そこは完全に二人の世界でした。他人が入り込む余地など、一ミリもありません。うらやましいなぁ、と思いつつ、はるくんは先に進みます。
「……?」
 次の部屋は無人で、本や漫画でごちゃごちゃした部屋の学習机の上に、破れた大学ノートが一冊置いてあるきりでした。ここのお父さんはもう誰かに買われてしまったのかな、とはるくんは通り過ぎながら思いました。
 その隣では、こざっぱりと片付いた部屋の中、一人の男がキーボードを叩いていました。
 背の高い男の人は、こちらに背中を向けているので、どんな顔をしているかはわかりません。たくさんの本や付箋の貼られた資料片手にキーを叩く後ろ姿は真剣で、気安く話しかけられる雰囲気ではありません。
 ただ孤独な男を見守るように、カーテンの開け放たれた窓からは、今にもこぼれそうな星空が覗いていました。
 まだ昼過ぎなのになぁ、と不思議に思いつつ。邪魔をしてはいけないので、先に進みます。
「こんにちは」
 次の部屋にいたのは眼鏡をかけた、にこにこ笑顔の優しそうなおじさんでした。
 主の人柄を表すように、落ち着いた色合いの室内は暖かく居心地がよさそうです。
「こんにちは」
「遊びに来たの?」
「お父さんを買いに……」
「そうなんだ。よさそうなお父さん、買えそうかな」
「まだ、考え中」
「一生の買い物だから迷っちゃうよねぇ」
 話も通じなさそうな化物や、なんとも胡散臭いお兄さん。存在しないお父さんや、こちらを見向きもしないお父さん達と違い、その人はずいぶん『まとも』に見えました。はるくんも警戒を解いてお話します。
 お父さんを知らないはるくんにとって父親とは大別すると、社会で受けたストレスを家族を虐げることで発散するおぞましい暴君。もしくは冷血な妻やクソガキを養うため懸命に働いても、けっして報われることのない悲しい奴隷のどちらかです。
 はるくんは、どちらも嫌でした。父を娶らば才長けて、見目麗しく、情けあり――そうでなければいけません。
『そんなお父さん、いるわけないじゃん! 七種は父親に夢見すぎだよ』
 好きな相手には、とにかく突っかかっておけばいいという見当違いは、男子小学生だけの専売特許ではありません。歯に衣着せぬ物言いでこちらの気を引けると思っているらしい女子に「そりゃお前の遺伝子由来の父親なら、夢を見る余地もないだろうな」と言いたくなりましたが、デリカシーがあるので黙っていました。
 ともかく、家族を愛し、家族からも敬意を抱かれている幸運なお父さんは希少な存在です。そして今目の前にいるのは、滅多にいない幸せなお父さんでした。
「どんなお父さんがいいとか、条件はあるの」
「えっと……かっこ悪いお父さんはやだ。優しくないのも、弱いのも駄目。馬鹿も嫌だけど、つまらないのはもっとやだ」
「うーん……君のお眼鏡にかなうお父さんがここにいるかなぁ。そもそもまともなお父さんは誰も手放そうとしないから、めったに売りに出されないんだよね」
「おじさんは、まともなお父さんに見えるよ?」
「ふふふ、ありがとう」
「……家族に売られちゃったの?」
「ううん、違うよ。でも、もう一緒にはいられないからここにいる」
 おじさんは頭上の光輪を示しました。
 と、背後からわざとらしい咳払いが響きます。
「時間が押している、二人ともそのへんにしてくれないか」
 二人が仲良くお話していると背後の亡八がイライラし始めたので、おじさんは苦笑して話を切り上げました。
「僕には大切な人との間に生まれた、大事な息子がいるんだ。だからおじさんは、君のお父さんにはなれない。ごめんね」
「ううん、いいよ。家族が一番だもんね」
「素敵なお父さんが買えるといいね」
「うん、ありがとう」
 自分の子を大事にするのは、とても大切なことです。はるくんは優しいおじさんに手を振って別れました。
 そこからいくらも歩かないうちに、ヒステリックな叫びが聞こえてきました。
 若い男が血走った目でイスを振り上げ、部屋を荒らし回っています。男の憤りの矛先となり、金に飽かせた調度は見る影もなく破壊し尽くされていました。
 縮こまったはるくんの前で、男は髪の毛をかきむしり、仰のいて吼えました。
「――あああああ、どいつもこいつも、役立たずの愚図共が……! どうして私の遺伝子から、あんな惰弱で低能の間抜け共しか生まれない!? 有象無象ならばともかく、どうしてこの私がこんな目に……! 億人、億人! 一体どこをほっつき歩いてる!? あの役立たずがぁあああああああ……肝心なときに使えない!」
 男は盛大に何かを、あるいは何もかもを呪っています。この男は自分以外のすべてを呪うことはできても、我が身の愚かさを呪うことはできないんだろうなと、なぜだかはるくんは思いました。
「――嗤うな、天狗! この産形兆を嗤うなど、できると思ってるのか!?」
 男は唐突に吼えるなり、誰もいない壁に向かってイスを叩きつけました。もはや完全に気が触れているようでした。
 その目にははるくんどころか誰の姿も目に入っていないようでしたが、怖いので早々にその場を離れます。

 歩を進めるうちに見世物小屋の喧噪は遠のき、椿堂の廊下は次第に肌寒く暗くなっていきます。
 最後の見世は――空でした。ノートのあった部屋と違い、ここには部屋の主どころか、家具も何もありません。冬の曇天のように寒々しい、打ちっぱなしのがらんとした空間です。
 はるくんは亡八を見上げて尋ねました。
「誰の部屋?」
「お父さんの資格を失った男の部屋だよ。だからここは空なんだ」
「見てもいい?」
 亡八は、黙って格子の鍵を開けました。
 はるくんはひとしきり部屋の中を眺めた後、不意に暗がりを指さしました。
「あれ、なに?」
「あれ?」
「ほら、あれ」
「……?」
 亡八がいぶかしげに背をかがめ、見世の中を覗き込んだ途端。
 はるくんはグレーテルよろしくその背中を押して、格子の扉を閉めてしまいました。格子の中で目を丸くしている男を前に、はるくんは得意げに胸を張ります。
「見世の中にいるお父さんしか買えないんだよね? このお父さん、ください」
 本当は、ここに来る前から決めていたのです。
 はるくんは名探偵なので、誰が自分の本当のお父さんなのかも、誰が探偵さんにアップルパイを渡しているのかも、探偵さんに相談すれば、この人にまで話が伝わることも知っていました。
 そして予想通りに。その人は、今日ここではるくんを待っていました。
 はるくんは見世の中のお父さんを吟味している振りをしながら、本当は「どうしたら値札のついていないお父さんを買えるだろう?」と、ずっと考えていたのでした。そこに都合よく空の見世があったら――やることは一つです。
 閉じ込められた亡八は、今にも泣きそうな顔になりました。
「……はるくんは本当に、僕がお父さんでいいの?」
「『僕のお父さん』を買いに来たんだよ? お父さんしかいらないもん」
 はるくんの全財産が入ったお財布を亡八が受け取ったことで、晴れて身請けが成立しました。
 抱き上げられたはるくんは亡八の首元に、自分ごと臍の緒で繋ぐようにマフラーを巻いてあげます。かつてお父さんの資格を失った亡八は、今日、ようやくはるくんのお父さんに戻ることができました。

 さて、お父さんを手に入れても、はるくんは『まとも』にはなれませんでした。
 それもそのはずで、はるくんはお父さんがいないからではなく、心の中にお父さん以外いないから――まともではないのでした。
 逢魔が時の夕焼けの中。二人は見世物小屋を後にしました。その姿は誰の目にも、仲睦まじい父子に見えたことでしょう。
 ずいぶん昔に一座が夜逃げした後、放置されたままの見世物小屋には鬼も人間兵器も魔女もクライムファイターも天狗も――当然、父を売る見世もなく。『椿堂』という演目しかない、古ぼけたのぞきからくりがうち捨てられてあるばかりでした。

 その後、父子の姿を見た人は誰もいません。

2022/12/24 LOG収納

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