I say let the world go to hell…
神父とをろく/ED後の話

「あぢい」
 独りごちながら、箒を駆る。
 季節は夏に近付き、流れる空気も湿気を帯びてきた。帽子とマントは魔女の象徴とは言え、夏場は少し暑さ対策を考えたほうがいいかもしれない。今や魔女にもクール・ビズが求められる時代なのだ。
 あれから俺は平日を自分の世界で過ごし、金曜の夕方から月曜日の朝まで教会で過ごす生活を続けている。
 今のところ俺がいることで、こちらの世界に異変が起こる気配はない。
 神父は神父で「そんなもん起こったときに考えりゃいいんですよ」といい加減なことを抜かす始末。まぁ確かに、何か起こる前から気を揉んでもしかたないよな。少なくとも今、世界は俺がここにいることを許してくれているようだから。
 そうこうしている間に、十字架が見えてきた。
 神父に「ちんどん屋」と評された服では、さすがに悪目立ちがすぎるので。教会の庭に下りる前に以前着ていたジャージに似せて編み直す。違うのはサイズだけだ。
「よっと」
 箒をかき消して庭に降り立ち、寄ってきた猫達に挨拶して聖堂に向かった。

「神父ー、きたぞー」
「はいはい、こんにちは、をろく」
 ドアから顔を出すと、案の定神父はそこにいた。
 もう衣替えの季節だというのに、司祭には夏服はないのだろうか。汗一つかいていないのは、やはり人間ではないからなのか。
 俺は腹をさすりつつ近付いていく。
「腹減ったー、青緑は? 司祭館?」
「青緑なら、昨日から実家に帰っていますよ」
「え?」
「例の教団を解体した関係で、ちょっとゴタゴタしているらしいです。彼は動じない性格ですし、弁護士も間に入っていますから無闇に心配する必要はありませんが」
「ふーん、そっか。じゃあ夕飯は久しぶりにしのぎのラーメンか。あれはあれでうまいんだよな、ちょっと塩分控えめだけど」
「しのぎさんは県外に泊まりがけで校外学習です。明日の夕方まで帰ってきません」
「……」
「……」
「帰るわ」
 踵を返して箒を出そうとすると同時に首根っこを掴まれた。
 「ぐぇっ」と喉から変な音が出る。振り返ると神父が視線だけで人を殺しそうな顔で俺を睨んでいた。
「こちとら昨日から完全にラーメンの気分になってたんだよ! 青緑もしのぎもいないんじゃ、鯖虎でラーメン食って帰る!」
「あなたが教会に顔を出す理由は、青緑としのぎさんとラーメンしかないんですか」
「馬鹿言うな、猫と本もあるに決まってるだろ!」
「ケンカを売っているんですね。私の顔を見たとき、子どもみたいにわんわん泣いたくせに」
「ううううるせー! あの感動ムードから人にエルボーかまして昏倒させた挙げ句、ロメロスペシャルの状態で30分間耐久説教したのは誰だと思ってんだー!」
「あなたのしでかしたことを鑑みれば、されて当然でしょう。友情割でロメロスペシャルにしてあげたんですから、むしろ感謝してほしいくらいですよ。あなただって、まさかしのぎさんの前で恥ずかし固めはされたくないでしょう?」
「恥ずかしいのはお前の精神だよ」
 ああ、もう。この先一生言われ続けるんだろうな、これ。
 俺の下した決断に、みんな一様に怒っていたけれど。特に神父は死ぬほど根に持っているらしいから。
 別に俺も本気で帰ろうとしていたわけではなく、まぁ、これはジャブというか。俺と神父のプロレスのようなものなので。
「で、夕飯は出前でも取るの」
「私が、あなたのために、わざわざ、高い金はらって、出前なんてとるとでも?」
「知ってた」
「私が作りますよ。二人の不在を知ったあなたがきゃん玉ヅラになるのを見越して、青緑が出がけにラーメンの材料を用意していってくれましたからね」
「お前ほんとどうにかならねーのか、その物言い! 2000年の懲役であれだけの目に合わされて、なんで唯一そこだけは変わらなかったんだよ! 大体なんだ、きゃん玉ヅラって!」
「私が聞くに堪えない下品な物言いをするのは、あなたの前だけなのでご安心を。ちなみにこんな顔です」
 そう言って神父は、なんとも言えない虚無の表情を浮かべてみせた。なるほど、確かにきゃん玉ヅラとしか言いようのない顔だ。
 それにしても、夕飯は神父のラーメンか。
 神父が淹れたお茶やコーヒーは飲んだことがあるけど、そう言えば手料理は食べたことがない。前に食べた八宝菜は、結局ほとんどしのぎが作ったんだろうし。青緑曰く「普通」という腕前だから、致命的なものは出てこないだろうが――
 俺がそんなことを考えていると。
「義堂」
 よく通る声に振り向くと、いつの間にか栂野が、聖堂の入り口でドーナツの箱を抱えて立っていた。多分、俺達が場所柄も弁えず騒いでいたせいで、入りあぐねていたんだろう。
「ああ、栂野。そんなところに立っていないで、さぁ、こっちにいらっしゃい」
 その姿を見るや、神父はわかりやすく態度を軟化させた。まぁアイドルを前にしたファンとしては非常ーに正しい姿勢ではある。俺にも、そのおもねりを1/10くらいわけてほしい。
 俺は神父の後ろで、ちょっと手を上げる。栂野も微かにうなずくような素振りを見せた。
「セールをしていたから買ってきたんだ。しのぎが好きだから……」
 栂野がそういうと、神父が困ったような表情になった。
「すみません、しのぎさんは校外学習で明日まで留守なんですよ。前もって知らせておけばよかったですね」
「ああ……そうなのか。タイミングが悪かったな。でも、せっかくだからみんなで食べてくれ」
 そう言い、栂野は箱を神父に渡す。
 今や俺と栂野の身長はほぼ同じなのに、腰の高さが違うような気がするのはミュラー・リヤー錯視にすぎない。
 と、金色の目が気遣わしげに、横にいる俺を見た。同じ金でも、俺とは微妙に違う目だ。
 栂野が何か言う前に、先んじて口を開く。
「よう、元気か」
「ああ……まぁ。そっちは?」
「俺も、まぁまぁかな」
 曖昧に声をかけると、栂野も、やや戸惑いつつ応えてくれた。
 ご覧の通り、俺達の関係は少し気まずい。
 正式に謝罪を受け、受け入れて。今、俺がここでこうしていられるのも栂野のおかげではあるのだけれど。何しろ、互いに一度ならず本気で「殺してやる」とまで思った間柄である。栂野はぬぐえない罪悪感から。俺は仲間と自身を殺された恐怖から。未だ互いに距離感を量りかねている感じだ。
 まぁ、こればかりは一朝一夕にどうこうなるものでもない。許すってのは「お友達になる」ってことじゃないからな。
 栂野にメタメタ(メタだけに)にやられたのは同じだというのに、この場で神父だけ平然としているのがどことなく釈然としないが――
「ぎにゃー!」
 と思っていたら、なぜか見透かしたようなタイミングでアイアンクローを食らった。
「すみません。今、あなたが脳内でクッソくだらないダジャレを思い浮かべたような気がしたので、気がついたら手が出ていました」
「人の頭の中を読むな!」
「せっかくなのでお茶でも飲んでいってください。一人うるさいのがいますが、黙らせますので」
「誰がうるさくしてると思ってんだー!」

「お持たせで申し訳ありませんが」
 神父が皿に載せたドーナツと、人数分のコーヒーをテーブルに置く。
 さっそく金色のワッフルシュガーのまぶされたドーナツを手に取る。俺はこれが一番好きだ。しのぎはチョコレートのかかったやつ、青緑はあんまり甘いものは食べない。神父は大体余ったのを、こだわりなく食べている。
「大学のほうはどうですか?」
 神父の質問に抹茶味のドーナツを食べながら、栂野は頷いた。
「おおむね順調だ。……お前の金で通わせてもらっているのに、怠けるわけにはいかないからな」
「あなたが怠けるわけないじゃないですか、をろくじゃあるまいし」
「どういう意味だ、おい」
 神父と同じように、自身の不始末の清算に人生のすべてを捧げようとしていた栂野を止めたのは、他ならない神父だった。
 「選べる選択肢は多い方がいいですから」と、半ば強引に学費を援助して大学に通わせている。現在、栂野はアルバイトで生活費を補いながら、日々自分が生みだした受荊者の無力化と、遅れてきた学生生活に勤しんでいる。
 誰をも平等に愛する救世主の裏返しとして誰も愛さず、すべてを嘲笑していた男がこつこつ勉学に勤しむとは、わからないものだ。
 人は簡単に変わらない、しかし時に意図せず変わってしまう。皮肉なことに。
「守銭奴クソ外道が、あしながおじさんとはねぇ……」
「何もボランティア精神を発揮したわけじゃありませんよ。彼には投資先として十分な価値があると判断したから援助したまでのことです。ただ、返せるようになるまでは、永遠に貸しておくだけですよ」
「ついでに俺の生活費も永遠に貸しといてくんない?」
「住所不定無職のニャンポンタンが寝言を抜かしたような気がしたんですが。もう一回言ってみてください、言えるものならば」
「だから怖いんだよその顔! つーか、住所不定無職なのはこっちにいるときだけだわ! 働けど働けど未だに完済した気配もねーし! どうなってんだ俺の借金は!」
「物語が違うと、金利も違うんじゃないですか」
「そんなもん、お前のさじ加減だろうがー!」
 なんでこう、俺と栂野であからさまに態度が違うんだちくしょうめ。
 すっとぼける神父と歯ぎしりする俺を、栂野は苦笑しつつ見つめていた。
 日が傾き始めた頃、栂野は静かに席を立った。
「それじゃ、そろそろ帰るよ」
「夕飯、食べていかないんですか。今夜はラーメンですよ。まぁ、青緑ほどおいしくはないでしょうが――」
 引き止める神父に、栂野は静かに首を振った。
「いいや、遠慮しておく。……水入らずの団らんを、邪魔をしちゃ悪いからな」
「まさか。彼ならともかく、あなたが邪魔になることなんてありえませんよ」
「どういう意味だ、おい」
「また寄らせてもらうよ。……ナヴィガトリアも、またな」
「おう、さいなら」

 栂野が司祭館を辞した後、神父がぽつりと言った。
「ありがとうございます」
「何が?」
「……まだ、怖いですよね」
「ばれてたか」
「あなた、魔女にしては正直すぎるんですよ」
「気ぃ使って帰らせたとしたら、逆に悪いことしたな」
 俺が肩を落とすと、神父は苦笑して背中を叩いてきた。
「当たり前の反応ですよ。その上で栂野に気を使って、自然体に見えるよう振る舞ってくれたことに感謝しているんです」
「……」
「彼はね、しのぎさんがいないときに教会を尋ねてくるんです。毎回おみやげを持って、でも、自分が持ってきたものだと、きっと口にしないだろうからと言って。私から渡してくれるように……と」
 神父はきっと、二人を元に戻したいのだろう。
 それは、口で言うほど簡単なことではないとわかっているはずだ。戻るべき元の兄妹は、当の栂野が完膚無きまでに壊してしまったから。
 改心したというのは、罪を犯す前に戻った、という意味ではない。
 今の栂野は俺が《ドロワー》の中で見た、韮谷令吾の手による勇者ではない。あの悪夢そのもののような男を踏まえた上で、存在する栂野なのだ。
 依然として、栂野の中にそれはある。消すことはできない。神父の中にも、未だ義堂禮があるように。

「ラーメン、できましたよ」
「あいよー」
 神父の呼びかけに合わせ、体を小さくする。
 今の俺は可変だ。"ナヴィガトリア"と"をろく"を、自分の意志で自由に行き来できる。ちんちくりんになった俺を見て、神父が首を傾げた。
「いつも不思議に思っていたんですが。食事時だけ小さくなるのは、一体なんなんですか?」
「胃袋小さいほうがラーメン詰め込めるだろ」
「同じ量で、めいっぱい満腹になろうって腹ですか。意地汚いですねぇ」
「うるせー」
 悪態をつきつつ配膳する。
 オーソドックスな醤油ラーメン。少なくとも見た目は普通だった。青緑が作るのと、そんなに大差はない。
「いただきます」
 手を合わせて、レンゲでスープを一口。
「……」
 もう一口。
「……」
「どうですか」
「普通」
「普通ってなんですか」
「袋の裏に書いてある『おいしい召し上がり方』通りの味」
 いや、けっしてまずくはない。
 けど普通なのだ。特に感想が浮かばない味と言うべきか。多分、青緑としのぎが達者すぎるんだと思うけど。
 俺の感想に神父が眉をひそめた。
「普通に食べられるなら上等でしょう、何が悪いんですか。チッ、本当にかわいげのない……」
「男にかわいいなんて思われたくないわい。大体お前のキャラならプロ級か激マズのどっちか両極端じゃないと面白くねーよ」
「勝手に人のステータスを決めないでください」
「ぎにゃー!」

「ごちそうさまでした」
 どんぶりを空にして手を合わせると、神父が呆れたように俺を見た。
「で、なんだかんだ言いつつ完食はするんですね」
「これはこれでいいものだ」
「後片付けはあなたがしてくださいよ」
「はいよ」
 食器を洗い終えると、神父が入れ替わりにお茶を淹れてくれた。
「あちち」
「大きくても小さくても猫舌は変わらないんですね」
「うるせー」
 息を吹きかけて緑茶を冷ます。鮮やかに緑色が出た、ほんのり甘いお茶を一口飲んで、ぽつりと言った。
「一つわかったことがある」
「はい?」
「お前の作る飯は普通だけど、お前の淹れるお茶は一番うまい」
「なんですかそれは」
 神父が呆れたように苦笑する。
 神父とは物を食べた印象よりも、一緒にお茶を飲んだ印象のほうが強い。物語の節目節目に、いつもお茶やコーヒーを淹れてくれた。その不思議と落ち着く味は、想像していたよりも深く俺の心に残っていたようだ。
「なんか幸せかも」
「単純ですねぇ」

 これからも、きっとこんな時間は何度も繰り返されるのだろう。
 しかしだからといってその瞬間の一つ一つは、けっして褪せることはないのだ。

2016/07/19 Tumblr掲載
2020/11/16 LOG収納

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